銀河はめざめた

Annaの雑感、ショップ日記、巡礼記、キスマイごと

火と水のコンツェルト

火と水のバランスを取ると最強らしい(?!)

 

火と水のエネルギーの交わるところ。

双方の調和の取れた場所というのは、とても穏やかな場所だということを色んな土地へ訪れるたびに思うのです。まるでレムリアのような穏やかで愛しい場所。
例えばご神体山と海や湖の組み合わせ、これはまさに火(山)と水(海)のコンツェルト。
男体山中禅寺湖箱根山芦ノ湖猪苗代湖磐梯山伊吹山と琵琶湖、カルデラ湖である十和田湖…などなど。

火(か)と水(み)で「神」。
水(み)と火(か)で「甕」。
△は火、▽は水で六芒星
 
…なんてね、これは言葉遊びだけど(笑)
そういった場所が聖地である(エネルギーが強い場)ということを古代の人は肌で感じていたんだろうと思います。そういった場所に敬意を持って暮らしていたんじゃないかな?自然を敬い、調和して暮らしていた時代があるのなら、それは、ある意味今よりとても高度で豊かな文明だったのではないかな、と私は思うのです。

そのうちに、古代の人々は、そうした偉大な自然のエネルギーを模倣して、人間が利用できるように「魔法(マジック)・術」を開発したのでしょう。それは古代の最先端科学であったのだとそう思います。

けれども我々人間の文明が肥大するにつれ、たくさんの火と水を使うようになって、
自然から少しだけ間借りしていただけだったもののバランスが崩れてしまったのじゃないかな。火と水を使ったより強力な魔術を開発して、その利をヒトが貪欲に得ようとした結果だったのでしょう。

そして自然の崇りを恐れ、鎮魂しようとした。
自然を慰撫し敬うことで、もっともっと搾取しようとして。
それが文明が肥大してからの「神社」や「寺」というものの本当の姿なのだろうと思います。春を呼ぶ東大寺のお水取りは、火と水の魔術の最たるものでしょう。

でもね、「多すぎる火は 何も生みやせん。」って、風の谷の古老はそう言ってたっけ…。

土地も人も、火と水の本来のバランスで生きることが大事なんじゃないかな。
 

つい最近、日立の御岩神社、新潟の弥彦に呼ばれて(弥彦には本当に呼ばれてたと思うw)本殿だけじゃなく、旧跡地や関係のお社をまわったけど、どんなに質素で小さなお社でもその土地に溶け込んでいる場所というのは本当に心地が良いものです。
自然や祖霊、そして自分の宇宙のソースを敬うこころ。
火と水のマジックは、純粋なその心象で使った時にこそ、真の力が発揮されると思うのです。


いろのみ「星」(ubusunaより)