銀河はめざめた

Annaの雑感、ショップ日記、巡礼記、キスマイごと

たちみぼし

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もうちょいしたら、屋号をね、arcanumから変えようと思ってますね。
「たちみぼし」にしようかなって。
たちみぼしというのは、漢名での水星のことなんだけどね。

西洋占星術で見た時に水星は私のチャートルーラーで、天頂にある天体だしで、
水星に関係した名前にしたかったのよね。
でも太陽と近いからコンバスト気味だし、リリスと重なってるので
普段はあんまり表に出ない…出したくないんですけども(というスタンスを看板に掲げてます、笑)もっと出していこうかなって、自分を。

水星って地上からだと太陽の周りを素早く行ったり来たりしているように見えるから、
太陽と他の惑星の間を取り持つような意味合いもあり。
どっちにも属さずあっちこっちふらふらしてるのが自分ぽいなと思うし、

自分。
というと、今年の三月に憧れの占星術師の方々から鑑定を受ける機会があり、やっぱり水星が大切ということを教えて頂き。
それと「どっちつかず、どちらでもない」というのがすごくホロスコープに出てるということも教えて頂き。
なんかとっても肩の力が抜けたというか。ほっとしたというか。
社会の中において、何者でもないということはとても孤独なのですが、私はどこかその孤独を愛していて、でも社会って時にその孤独を許しておいてはくれないじゃないですか。
私も何かに属さなくちゃいけない、肩書がなくちゃいけない、何かきちんとした型に嵌まらなくては…という強迫観念のようなものを抱いていたのです。
ま~、でも昔からそれが嫌いというか…苦手というか、もやもやすることで。
(まあ元々、人から勝手に決められたり指図されたりするの好きじゃないってのもあるね。)
だから「どっちでもない」と、ありのままの性質をただそのまま言ってもらえたことが、とても嬉しかったんですよね。半端者な自分を肯定していいんだ、孤独でいいんだってほっとしたんです。
型に嵌めることで分かりやすくはなるだろうけど、そこから溢れだした自分の余剰部分が殺されちゃうわけで。そこって私にとっては一番大切なものだったりするのです。

例えば石の世界でも、石が好きな人ってめちゃめちゃ大まかに分けると2つのジャンルに分けられると思うの。
いわゆるパワーストーンや、宝石魔術などの石にまつわる見えないエネルギーに惹かれ石を扱っている人たち。
それから石を、鉱物という学問として扱う人たち。
私は、どっちでもありでっちでもないところを歩いていきたいと思っていて。
石に関してはエネルギーだけでは語りたくなくて。
実際の鉱物とかけ離れすぎてても駄目だと思っていて、採集に行くようになって、実際に石たちがどんなところから生まれるのか、この色はどうしてこんな色になるのかという自然の錬金術を知って、とても理解が深まったのでね。

(愛の石と言われるインカローズとかロードナイトはマンガンの鉱物で、実際持ってみるとめちゃくちゃ重たい、酸化すると黒くなるのを見て、愛って優しいだけのもんじゃないなって思ったり。笑)

かといって石に宿る魔力のようなものを否定しているわけではなくて、その石の成り立ちこそが魔力そのものだなと、古代から人々が語り継いできた石にまつわるストーリーやその石を産む土地のエナジーは絶対に石に沁み込んでいるから、そういう情報も大切にしたいと思っているのです。そしてそういう物語が人の心を豊かにするとも思っています。

だから採集に連れて行ってもらってそこの石を採集したり、その場に立つということは、土地との語らいみたいなものなので、綺麗な標本見つからなくてもめちゃ楽しいのよね。(あんまり理解してもらえないけど)そもそも山と川が好きだから、いれるだけで幸せだわ。


さてさて話がそれましたが、
今月〜来月中には、たちみぼし(仮)でスタートさせて、来年から本格スタートさせて行こうかな。とぼんやり考えてます。
去年から西洋占星術を改めて勉強しなおしていて、その方の出生図を見ながら、おすすめの石を紹介するみたいなことをやろうと思ってます。

まずは近日中に上記の件、モニターを募集しようと思ってますので、ご興味のある方はぜひ。

誕生日の朝に電脳的な夢を見た

何かから逃げて、地下への重厚なエレベーター、
降りたその先に異世界への出発ゲート

仲間と共に原始的異世界への逃避

出発ゲートのロビーにはたくさんのお土産物が用意されていて
その中から私は淡い金色のワンピースを手にする
花の形のビジューで彩られた素敵なワンピース
向こうに着いたら不必要な気もするが
こういうものは向こうに無いから、思い出として向こうで着ようと思う

ゲート前に立ち、さあこれからいざ出発!
 
 
・・・というところで目が覚めてしまいました。
がっかり。笑

夢の中で何かに追われるような、パニック映画さながらの夢をよく見るのですが
追われて逃げていくと、1回の夢で逃げ込む先や場面がめちゃくちゃ移り変わっていって、その場面ごとに空気感ががらりと違っているのが面白いというか。
そして結末は、だいたい逃げ切れずに捕まって終わりか、逃げている途中で目が覚めるというのが定番なのだけど、ふと、これって地上や自分の肉体から離れて、意識?や夢の階層がどんどん深くなったり(移行したたりしている)ことなのでは?と妄想めいたことを考えてしまいました。

本日、37回目の誕生日を迎えました。
魔術的目覚めで大変気分がいいです。

今年一年、金色のワンピースを纏って、
より変態的にオタク道つきつめていこうと思います。
あと記事ももっと書くようにします。笑

11月も終わっただなんてそんな

皆様こんにちは、ほんっとーーーにお久しぶりです。
記事を投稿するのが夏ぶりということに驚愕しております、Annaです。
SNS等で見てくださっている方は、のらりくらり生きてることは知っていらっしゃることと思いますが、もしこのブログだけ見てらっしゃる方いらっしゃいましたら、生きておりました。と、いうことはお伝えしたいです。笑

今年は誰しもが、言うところの「新しい生活様式」をされていたのだと思いますが、
コロナ云々もありますが、一個人としても「新しい生活様式」の一年でした。

今年、祖母宅の小屋を改装して、そちらに引っ越しまして、
6世帯の集落での祖母との共同生活をスタートさせました。
そして、もうひとつ、大きなイベントとしては、7月に入籍しました。
籍入れて初めて分かる女性側の手続きの多さよ、、、すっごいめんどくさいですね。
通帳から免許書から何から何まで変更するの骨が折れました。
色んな意見あるかもですが、さっさと夫婦別姓、法律でできるようにして欲しいとほんとに思いましたね。
もう2020年だもの、普通にできるもんだと思ってたよ。
それに付け加え、夫氏の住民票が実家(現住所から車で1時間ほど)にあり、更には戸籍が前に住んでいた所沢になっていたため、二か所に問い合わせしなくちゃいけないのも大変でした。
そんなこんなで引っ越しと結婚にまつわる色んな手続きと片付け(今後も継続…)で日々追われておりました。

年末年始に向けて、今頃だったら恒例となった特別なアクセサリーを製作している頃ですが、あれよあれよという間に、こんな時期に…。特別なアクセサリーは年明けてからかな、なんとなく構想はしています。。。(遠い目)

せめて何かクリスマスに合わせ皆様にご紹介できればと思い、信頼できる方からヒマラヤの美しい水晶を何点か仕入れてきましたので、そちらをご紹介しますね。
まずはいつもarcanumのアクセサリーを購入くださっているリピーターの皆様へ先に秘密のURLを載せたメール(メッセンジャー等)でお知らせいたします。

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色んなことがめまぐるしく、そして今までとはガラリと変わっていく世の中の状況で、できないこと・できなくなったこと、にひとつひとつ対応していかければならない中、それでもなんとか年末まで来たなぁという感想です。
世界的に大変な状況の今なのですが、個人としてのイベントが多岐に渡ったため、一喜一憂してる暇がなかったというか。イベントに付随してたくさんの新しい人と関わる1年ではありましたが、自分と家族の生活や喜び以外のことにはとても鈍感な1年でもありました。
何かを感じ取る繊細さはもちろん大切にしたいのですが、過剰さが取れたような感じですかね。本当に必要な神経回路だけ残してあとは外した感じでしょうか。外しすぎかな?いや、今はそれでいいんだと思う。

前々回のブログに記したかと思いますが、西洋占星術の勉強も改めてし直しておりまして、継続中です。占星術の勉強は、そのバックグラウンドにある西洋史や西洋思想の勉強でもあり、その筋の先達の講座はめちゃくちゃ面白くて、とにかく毎回シナプス増えていくような嬉しい感覚を味わっております。

来年はどんな年になるだろうか。
楽観しているわけじゃないけど、見通せないということはそこに何かの種があるような気もしています。

ではでは
皆様も良き年末をお過ごしください。(ちょっとはやい)

悲観せず楽観せず。

コロナ流行の折、こちらを読んでくださっている皆様はいかがお過ごしでしょうか。
や~、ほんと状況は3日でがらりと変わりますね。
私の住む地方は感染者も少なく、都会ほどの緊迫感はありませんが、観光業で食べてるような町なので、ひしひしとその影響を感じております。
本業の方の会社は完全週休3日になりましたし、
併設の店舗も5月いっぱい閉めることに。
しかしすごい時代に我々生きてますよね。
 
先週、実家に妹の同級生という謎の人物が現れたそう。
あいにく妹は今海外にいるので、対応したのは父だったのですが、
娘の同級生がわざわざ来てくれたのを喜んで、その場で妹に電話繋いだみたいだけど、
同級生は同級生だけどクラスも違うし、喋った記憶ないし、
小学1~2年でその子は転校したって言ってるしアヤシイと思って、
別な同級生にその子のこと知ってるか連絡してみたら、
宗教の勧誘で元同級生の家々を回ってるそうで、その子の家にもその日の来たそうな。
父は妹と私に説教されました。笑
 
ほんと混沌とした状況ですので、こういう時期に人を喰いものにしようとする奴らが、出てくるだろうなと思ってたら早速ですかそうですか。
みなさま本当にお気をつけあれ。
 
あとこんな状況だから揺れやすかったり肉体にも影響出るのはしょうがないなと
自分の状況見ててもそう思うけど(やたら眠かったり、片頭痛出たり)
でも混沌に飲まれないように喰われないように、
その都度その都度休んだり、情報から距離を置いたりして対処しましょう。
この時期に感情的になったら消耗するだけ、まだまだ戦いは長いですから。
 
悲観せず楽観せず。
日々を過ごしていきましょう。

秘めたる祈りは熱く、鋼のごとく

春は庄内に行きたくなる。

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…のかわからないですけど、

意図せず先日、去年と同じ時期に山形は庄内地方へふらりと行ってきました。
その前に行った時も春だったな。
去年は鳥海山近辺をぐるぐる回って、丸池様とか釜磯の湧水見たり、
秋田側まで足を延ばして、元滝見たりして、、とにかく虜になってしまったのでした。
奈良や糸魚川に恋に落ちたのと一緒の感覚ですね。ご飯もおいしかった。
庄内スキ♡ 鳥海山出羽三山スキ♡ 庄内の自然のエナジー最高♡
その土地その土地のエネルギーってありますが、肌になじむ感じ?
なんて言ったらいいのか、お懐かしうございますぅ、みたいな感じです。(更に謎)

そして先日のこと、行きたいな~と思いつつ、1年ぶりの庄内。
来たはいいけど、月山も湯殿山も本宮まで雪で行けないだろうしなーと思って、
なんとなく湯殿山の瀧水寺大日坊に訪れてみました。

500円の拝観料で簡単なお祓い(若めの方がしてくださいました)と、
大日坊の歴史を高齢のお坊さんが説明してくれたんだけども、
お話し前のお祓いが最高にすっきりしたのよ。
お経(でいいのか?)の「六根清浄~」の独特のリズムと大きな梵天
パッパッと振ってもらったら頭がスーッとしていって。
テレビとかで修験の方が「懴悔(さんげ)懴悔(さんげ)六根清浄~」って
唱えながらお山を駆けているの見るとなんか知らんけど
あのリズムにウルっときちゃうので、たぶんその感覚なんですけど。

高齢のお坊さんによる大日坊の歴史のお話は、ちょっと偏ってる部分あるなー、
商売っ気あるなー(笑)と、思うところはあったものの、
講談聞いているみたいですごく面白かったです。
羽黒山出羽三山神社では出羽三山崇峻天皇の皇子である蜂子王子が
開山としていますが、大日坊は大同2年に空海が開いたと言われているそうで
羽黒山側と湯殿山側で見解が違うのも面白いです。

明治の神仏分離廃仏毀釈で、羽黒山などが神社に変わった中でも、
ここはお寺であることを変えず、かなり大変な目にあったようで、
そしてお坊さんの口ぶりから、どうも羽黒山と確執があるような雰囲気を感じました。
それと明治政府への恨みたいなのを感じて、
あれ?これこの感じ良く知ってるな、なんだっけ、常日ごろ味わってるやつ…

そうそう…地元会津と一緒じゃん!

って思ったけど、そもそも庄内は戊辰戦争会津同様に
旧幕側の急先鋒(会庄同盟っての組んでましたわ)で、
その根底にある気骨のようなものは、似てるんだなと気づきました。
庄内って勝手ですけど自然が雄大なだけにおおらかなイメージがありましたが、
奥に反骨精神のような鋭い熱意のようなものがあるのだと感じてびっくりしたのでした。

こちらのお寺、真如海上人という方の即身仏もいらっしゃいます。
即身仏に対してあまりいいイメージがなかったのですが、
即身仏の説明や神仏分離で大変だった話とか色々聞いていたら、
庄内のどういった歴史や風土から、即身仏が生まれたのだろうと
妙に興味がわいてきて、帰ってからネットとか文献読み漁って色々調べてしまいました。

以下、ながーくなりますが、お付き合いください。笑

出羽三山は今は月山・羽黒山湯殿山ですが、
その昔は、湯殿山は含まれなかったようで、
(中世頃までは鳥海山・月山・葉山のことを三山と言ったという説もあり)
湯殿山は山のことではなく、現在湯殿山神社のご神体となっている巨岩のことを言ったそうで、
湯殿山出羽三山それぞれの「総奥の院」とされたそうです。
湯殿山麓には別当寺として湯殿山派4ヶ寺(注連寺、大日坊、大日寺、本道寺)というのが存在していて、
4ヶ寺の宗派は江戸時代の寛永中期(1624-1644)ごろには
真言宗の影響が濃くなっていったそうです。


湯殿山4ヶ寺で活動した人々は、およそ三種類に分けられるようです。

清僧(正式な僧侶)
修験者
一世行人

この中でも湯殿山を中心に活躍した一世行人は、
<一生をかけて修行する人々>とのことで、とても特殊な立ち位置だったようです。
寺の中でのヒエラルキーは低く(低いというか別格というのが正しいのかな)
修験者の入峰儀礼にも参加できず、寺での灌頂も受けられなかったので、
修験でも仏の道でも上を目指すことはかなわなかったようです。
湯殿山の修験者は、家を持ち妻帯し百姓などとしての仕事も持っていたようですが、
一世行人たちは禁欲し肉食せず、行に専念していたとか。
極寒期に山に入り、湯殿山の仙人沢や玄海に千日間籠り続け、
水垢離し、木食行(肉食を避け、木の実・草のみを食べる修行)をしたそうです。
そんな栄養状態良くない中での行で、湯殿山の仙人沢などでは、
行の途中でたくさんの一世行人が亡くなっているようです。

即身仏の多くは、実は一世行人と呼ばれる人たちがなったもののようです。

少し話を戻しますと、出羽三山羽黒山
もともとは湯殿山と同じ真言宗のお寺だったそうなのです。
羽黒山中興の祖と言われる別当天宥法印が、
徳川家の庇護を受けるために天台宗への改宗を行います。
羽黒山側は湯殿山派4ヶ寺にも天台宗への改宗を求めますが、
拒まれたため、裁判に発展したそう。

神仏分離以前に、ここで羽黒山との溝ができたんだな~と納得。
そして湯殿山派は自分たちの真言宗としての正当性を求めるために、
「開祖の空海に倣い、即身成仏を実践している」と宣言しました。
そのために、そこから湯殿山派の行人たちは即身仏を目指すようになったのだそう。
その証拠にそれ以前に即身仏になった人はいなかったそうです。
これを知り、とてつもない衝撃を受けました。

古代からお山の利権をめぐった宗教間でのなんやかんやを
自然は、神々はどう見ていたのだろうと思うと眩暈がしますが、
ただ、純粋なまでに行に打ち込む一世行人の姿には、頭が下がる思いです。

ある部分では柔軟にものごとに向き合っていくことが大切だと思っていますが、
それには熱く鉄のような意志が心にあってこそだと。
貫き通すことへの強い想い、を湯殿山の歴史から感じました。

それと明治の神仏分離で失ったものは、仏像や建造物のモノだけでなく、
祈りの形というか、何かもっと別の大切なものだったのではないかというのも、
すごく考えさせる庄内小旅行でもありました。
雪が解けたら湯殿山の本宮や月山、鳥海山に登拝してみたいです。

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長々と失礼しました!

智慧を持って繋ぐ

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今年はワタクシ、年女で厄年で八方塞の年のようで。ええ。笑
厄年で八方塞だと聞くとヒェーって感じですけども自分に集中する年だなーと思えば、楽しみにも思えてきます。
そして毎年、熊谷千春さんのイヤーリンディングでトートタロットで見てもらっている、今年1年を表す私のイヤーカードはハーミット(隠者)なのですが、私の魂を表すソウルカードがそもそもハーミットなので、自分還り&自分集中!には、本当に良き年で、いろんな意味で節目のような1年になるんじゃないかと思ってます。
なので年始から肉体面・エネルギー面のケアを月ごとに入れております。

3月は誕生月でもあるため、ご縁の土地で人生初めての護摩祈祷を受けてきました。
数年前までの私なら、お寺で護摩祈祷を受けるなんて考えられなかったな。
なぜか昔から潜在的なところでお寺には若干の苦手意識があったのですよ。
ふる~~い過去世で仏教に対して良くない思い出があると何回か言われたことがあるのですが、それが事実であれ妄想であれ、それは「今」ではないことで、それをある種の心のヨスガにしていた自分を恥じます。
今の自分が実際に感じて、知って学んでもないのに、嫌煙するのなんて以ての外だな、と。本当に不敬そのものだったと思います。

好き・嫌いの直感は大切にしたほうがいいと思うのですが、
好き・嫌いの感情を大切にしすぎると大事なものを見失う気がします。
私たちは感情に捉われすぎて、事実を殺してしまっているなと思うことが最近多々あります。
歴史を知り、意味を知り、在り方を知るということで、私たちはようやく判断ができるのではないでしょうか。

発掘の仕事をしている友達から聞いたのですが、個人的に歴史を勉強している手ごわい方々(笑)から質問を受けることがあるそうですが、学術的な立場からだと、何かの説に肩入れはできず、物的証拠からしか語るしかなく、「これはこうです」とはっきり断定できないことの方が多いのだそう。
でも頭の中に自分の描く歴史像や<~説>を信奉している人だと、その説が肯定されない答え・満足のいくものではないと、「そんなことも知らないのか!」とプンスコされちゃうらしいんです。

目に見える事実はクソ詰まんないと思いますよ。
でもその事実を自分たちの感情で勝手に紡いでいくことは、それこそ先人への不敬ではないのかなとも感じます。
陥りやすい魔境だから、自分も気を付けなければ。

でもある意味、それが人の歴史の本質でもあるかなと思ってもいて。
自分の都合のいいことだけを残して、他は無かったことにする。
個人の歴史も、国の歴史も、世界の歴史も。
それを積み重ねた先が今という瞬間なのだなと。
それ事体に良い悪いはないのだけど、真意や根底にあるものなどは何なのかというのは知りたいと常に思っています。
今の私が記憶しているものは、数十年、数百年後には砂のように消えてなくなるものだから、きちんと知って学んで、どう繋いでいくか、どう繋がりを断つかを最近よく考えています。

よりフラットに、自分で体験し学び、智慧をつけたいです。
目に見える部分と、そうでない部分と、好きなものと、苦手なものと、どちらも。
どちらかだけでは足りないから。

 



あ、それと自分を知り・整えるという意味では、年末に遺伝子検査キット取り寄せて、遺伝子検査も受けたのでした。その結果もなかなか面白かったです。笑
ちょうど同じタイミングで「Ancestors: The Humankind Odyssey」という、人類が誕生する頃の新第三紀のアフリカで、祖先を進化させるというアドベンチャーゲームをやっていたのですが、まぁトラに襲われたり、病気になったり、食中毒になったりで一族壊滅したりするわけなのですよ。
そうやって繋いできた人類が世界に広がっていったのだなぁと感慨深く思ったり。
自分たちのルーツはY染色体アダムやミトコンドリアイブに集約されるわけで、知れば知るほど、国や個人間の争いや諍いが愚かに思えてきます、謙虚にならざるをえないね。

youtu.be

コロナウィルス流行の折、ぜんぜん関係ない話題で申し訳ないです、笑
色んな情報があるけれども、振り回されずに冷静に対応していきたいですね。